下手名英子っていったい何者っ?というあなたの疑問にお答えします

2002年の下手英開始時に書いたものです。あれから約15年。。。英語に関する知識も経験も恥かきエピソードも、どど~~~んと増えてます。落ち着いたら、そういった追加情報も加えつつ、このプロフィールページも更新したいと思います。

「下手名英子」のプロフィール

名前 下手名 英子(ヘタナ エイコ)
愛称 募集中
年齢 不明
現住所 ニュージーランドを放浪中
連絡先 eigo (アットマーク) nademoya.biz
職業 英語を使いこなせるようになろう!推進運動
趣味 旅行、テニス、読書、映画鑑賞、ビーチや公園の散歩、街で出会ったおじいさんやおばあさんと立ち話をすることなど。
特技 ハートと気合で英語を通じさせてしまうこと。

英語や旅に関する経歴(というより思い出)

小学校の時、将来の職業に通訳と書く
いや、深い意味があった訳ではないのですが、その時点で全く未知の世界であった英語に賭けてみたい…というような理由を書いたような気がします。実際、海外で生活することになって、通訳の仕事をすることになろうとは…夢にも思っていませんでした。皆さん、小学校の頃の夢は大切にしましょう!
アメリカへ行く
20歳の時、何を思ったのか、大学の夏休みを利用して、5週間ほどアメリカへ行きました。一人でホームステイプログラムに申し込み、旅券申請やら何やら、慌しかったのを覚えています。重量オーバーで、伊丹空港でスーツケースを開けて重さを調節しようとしたり、乗り継ぎの成田空港で、スーツケースに鍵が掛かっていないことに気づき、しかも、鍵が見つからず、空港のかばん屋さんで鍵を取り替えるしかない???などと一時は焦りましたが、基本に戻ってスーツケースの中を調べたら、あ~ら不思議、その中に鍵が…。前途多難な初海外旅行を思わせる出来事でした。その頃、アメリカは危険では?と言われたのですが、家の近所で車に轢かれることもある。実家の近くで車に轢かれて新聞の地方欄に小さい記事が載るくらいなら、アメリカで…と周囲を黙らせ、旅立った私です。英語力はほとんど無く、皆さんにご迷惑をお掛けしました。LAのディズニーランドで夜のパレードに見とれて財布を落とし、Lost&Foundに届出をしたり、拾った方がホームステイ先にGood Luckというメッセージと共に財布を送って下さったり、素敵な出会いの多かった初めての海外旅行でした。ホームステイをしたロサンゼルス、その後旅したラスベガスにグランドキャニオン、サンフランシスコにハワイ…。あぁぁぁぁぁぁ懐かしい!
ヨーロッパ8カ国の旅
アメリカで、世界は広いということに気づいてしまった私。そのまま勢い付いて、春休みにヨーロッパへ出かけてしまいました。英語の通じないイタリアで、列車に乗ってみたら、途中、故障で立ち往生してしまったり、小学校の頃、映画で観て憧れていたベネチアで、夢のゴンドラに乗ったり…。その他、各国でのエピソードは尽きません。う~ん、スペースが足りなくなるので、残りは省略。花嫁道具にとベネチアで買ったベネチアングラスは今も日本の実家の押入れの中。ハネムーンで、ヨーロッパにまた行こうと思っていたら、未だにハネムーンの予定どころか、浮いた話が全然ない。こうなったら、一人旅で行くしかないかぁ~?
タイへ就職活動に?
翌夏休みには、タイへ…。その頃タイにいた親戚に、就職活動の相談という名目で、就職活動真っ只中、4回生の夏休みにもかかわらず、ピークシーズンの合間を縫って航空券を手に入れ、遊びじゃなくて、人生勉強に行ってしまいました。しっかり、カルチャーショックを受けました。でも、この頃から、一人で海外旅行をすることに抵抗が無くなってきたような…。
旅行会社でのOL時代にオーストラリアへ
バンジージャンプがしたくて、一人旅に出てしまいました。バンジージャンプだけでなく、ラフティングを楽しんだり、コアラを抱っこしたり、いろんなことにチャレンジした旅でした。この旅の途中で、自分は、「~へ行きたい」「~を食べたい」「~をしたい」等、自分の望みを伝える英語はしっかりと身に付いているのに、旅先で出会った人たちとの会話で、自分自身についてや、自分の気持ちをいつまでたっても表現出来ないでいることに、はたと気づいてしまいました。このままではいけない…と思い始めたのはこの時。
シンガポール・マレーシア旅行
母を連れて、パッケージ旅行に参加しました。どこの国へ行っても、気候の違いや食べ物の違いが苦にならない私。母との旅行で、自分はどんなに外国旅行が向いているか、自分のこだわりのない嗜好がいかに便利であるかを実感しました。暑いの駄目、日本食じゃないと駄目な人の海外旅行は、大変ですねよねぇ~。
香港へちょっと
とってもエキサイティングな場所でした。一人で街をぶらついていた時に、中国語で道を尋ねられました。私って、すぐに街の景色に溶け込むタイプなのかしら…と、ただ態度が大きいだけという自分に気づかず、道を聞かれたことを喜んでいました。日本でも海外でも、何故か人に道を聞かれる私です。ニュージーランドでも、たま~に帰った日本でも、迷子さんの道案内をすることが多いです。知ったかぶり顔なのでしょうか?
ニュージーランドに来てみたら
オーストラリアから、自分の願いを伝えるだけではなく、周りの人の意見や気持ちを聞いたり、自分の意見や気持ちを伝えることの出来る英語を身に付けたいと、ずっと心の中で考えていました。そんなある日、このままでは、自分は人生の守りに入ってしまうと、仕事を辞めて海外へ行くことを決意。それまで行ったことのない英語圏ということで、ニュージーランドに来ました。そして、気が付いたら、ず~っと住み着いてしまっていました。日本語でもおしゃべり好きだからか、性格的に、下手な英語を使いまくる図々しさがあったからか、失敗を繰り返しながらも、徐々にいろんな場面で英語が使えるようになり、今日の私があります。
フィジーに2年間
就職活動の途中、たまたま面接に行ったオークランドの旅行会社で、フィジー支店で働かないかと言われ、あれよあれよと流れに身を任せている内に2年間の契約書にサインしていました。フィジー英語だけでなく、いろんなことを学んだ2年間でした。